マップ「東京市」の紹介

私の力量不足という点から、再現としては苦しい点多々ありますが、そこは笑ってやってください。

データ

年月:1936年11月 資金:$20,000 人口:60,810人
交通:18 公害:56 地価:186 犯罪:5 健康:71 教育:108 失業:2

各エリアの紹介

各エリアの紹介です。各地区名をクリックすると、それぞれの紹介にジャンプします。

おおよそマップは東京旧15区(このころには既に大東京35区ですが)の範囲で作っています。

麹町区

麹町区ど真ん中にそびえる宮城(きゅうじょう、=皇居)と丸ノ内です。東京と言えばまずはここですね。今の武道館の場所には近衛連隊が駐屯しています。

こちらは皇居の西側、区名の由来となった麹町や、今も昔も政治の中枢である永田町周辺のエリアです。各国の大使館や、宮家の邸宅も点在しています。現実と同じく地価も高いので3x3の建物がちらほら見えますね。

画面中央付近のシティホールは標準収録のTOKYOマップと同じく帝国議会議事堂のつもりです。マップの年月はこの議会の竣工時(1936年11月)に合わせています。

神田区

江戸っ子の街、学生の街神田です。高台になっているあたりが駿河台や御茶ノ水のあたりです。この界隈、多くの大学が所在していますが、都合上一つにまとめて(それぞれの母校の方、すみません!)しまっています。大学横の教会はニコライ堂のつもりです。

日本橋区

お江戸の中心日本橋です。あまりランドマークがないので、どこがどこなのか分りづらいかもしれません。日本橋はビルの陰になってしまっていますが、画面中央上部、2x2の商業ビル(三越や三井銀行のつもりです。)の近くにあります。

京橋区

銀座周辺のエリアです。このころの東京では浅草を追い抜いて一番の繁華街になっていました。区画バランスの関係で商業地を少なくせざるをえなかったのが残念なところ。この界隈は今と違って水路だらけでした。

画面下方の跳ね橋は勝鬨橋(1940年開通)です。実物は1940年竣工ですが、あった方がよいアクセントになるので、1936年当時は建設中ながら登場してもらいました。^^;

芝区

有名な寺社や離宮公園が並ぶ風光明媚な地域です。しかし、この頃にはだいぶ東京港の埋め立てが進んでおり、浮世絵に描かれたような景観は失われつつありました。

左側の公園群は増上寺、その少し北の高まりは愛宕山、右下の林は浜離宮です。

麻布区

戦前から麻布や赤坂のあたりは皇族、貴族、その他名士の住む高級住宅地でしたが、また同様に軍隊の街でもありました。核融合発電所は歩兵第三連隊の兵舎のつもりです。

赤坂区

こちらも陸軍基地が多数存在しています。戦後これらの基地は官公庁の用地のなったのち、大規模商業施設や高層ビル群に変貌を遂げています。上部の森と2x2の住宅は赤坂離宮です。

四谷区

お濠の西側エリアが四谷区なのですが、都合上区域の殆どが収まりませんでした。ちょっと寂しいことに。

旧15区時代の場合、未収録範囲は画像部分の2倍ほど、さらに周辺町村が編入された35区時代には未収録部分はより大きくなります。

牛込区

ここもまた閑静な住宅街です。

右下の商業地群は神楽坂です。大震災直後は焼け残ったこともあり非常な賑わいを見せたのですが、他地域の復興や、新宿を代表とする新たな盛り場の発展が進むと衰退してしまいました。

左下の陸軍基地は市ヶ谷の陸軍士官学校です。ここは麻布や赤坂方面とは異なり、現在も自衛隊の駐屯地になっています。

小石川区

下部にそびえるスタジアムはもちろん後楽園球場です。お隣の公園は球場の名となった庭園「小石川後楽園」です。球場はマップの年月的には未開場ですが、もうすぐ(翌年)の完成するのでまあいいでしょう。^^;

本郷区

本郷と言えばやはり東京帝大ですね。敷地が相当広いので、贅沢に大学を2つ建てたほか、付属病院や図書館も建ててしまいました。

中央下部分の森に囲まれた1x1の高級住宅は岩崎邸です。こうして見てみると、随分良いところに立っています。

下谷区

上野の山とその周辺(下谷)エリアです。ご存じ上野公園には今と同じく各種博物館、動物園と音楽・美術学校が並びます。鉄っちゃんには有名な京成電軌の博物館動物園駅も健在です。

浅草区

戦前の東京における有数の観光地であった浅草です。公園部分は浅草公園(戦後は廃止)です、当時は周辺に大劇場街が形成されており、常に人でごった返していました。永井荷風や宮沢賢治も出入りしています。

北のほうには吉原も…。

本所区

隅田川左岸のエリアは帝都の中心的な工業地帯でした。工場尽くしです。

左の小公園群のあたりに相撲の殿堂、国技館があります。本当はスタジアムで表現したかったのですが、スペースの都合で公園です。 

深川区

水路だらけのエリアです。水路の多くは江戸期に開削され、長らく物資の集散地として栄えていました。当時は自動車および道路がが未発達であったため、バリバリ高瀬船や川蒸気船が行き交っています。 

以上で東京市 in シムシティ2000の紹介はおしまいです。もしお暇があるようでしたら、制作記録も見ていただけるとうれしいです。

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