行徳可動堰・行徳橋と江戸川水閘門 (1)

行徳可動堰・行徳橋


河川事務所付近から望む。

昭和25年(1950年)着工、昭和32年(1956年)3月竣工。総事業費7億9000万円。
それまでは行徳床固があり固定堰であったが、増水時の能力不足のために可動堰化される。また、行徳橋と一体化された。それまでの床固は高水部を除き撤去。初代行徳橋もお役御免となる。

通常時はゲートは閉まっており、塩水の遡上を防止している。大雨等による増水時にはゲートを開き放水路へ放流する。

建物は、コンクリート製で丸みを帯びたデザイン。水流の乱れを抑える効果もある。その巨大なゲートは竣工当時日本一、東洋一とも言われた。

データ

管理橋 合成鋼桁橋 長さ422.35m 有効幅員6m(県道との共用橋梁)
ゲート 形式 鋼製鋲接ローリングゲート 3門
ゲート 純径間30mx高4.5m 重99t ドラム径3.5m
捲上機 60馬力1基づつ
捲上速度 0.1m/秒

後の昭和50年〜52年に地盤沈下からゲートに50cmの継足し工事が行われた。

総事業費 7億9000万円
(図は行徳橋交番付近の看板「行徳可動堰施設概要」から、諸元はそれに加え、建設省関東地方建設局「利根川百年史」より)

また、行徳可動堰の上流、下流側の両方に可動堰下、可動堰上水位観測所がある。

年表

昭和24年(1949年) 利根川改修改訂計画が策定。
昭和25年(1950年)12月 行徳可動堰着工。
昭和32年(1956年)3月 行徳可動堰竣工。
昭和50年(1975年) ローリングゲートの嵩上げ工事開始。
昭和52年(1977年) ローリングゲートの嵩上げ工事完了。

ローリングゲートが開く時・・・

上述したように、この堰は塩水遡上防止のための堰なのでゲートは通常は開かない。大雨などにより水量が増水した時に開く。

しかし、下流には普段塩水(汽水)が流れているので、上流から淡水を流すと下流の生物が環境の変化により死ぬことになる。江戸川放水路開削から80年近く経過した今、放水路自体の自然環境が重要視されるようになってきており、開ければ各方面からの苦情・抗議が来ることは間違いない。
その上、後にも触れるように可動堰自体が老朽化しており、ゲートの開閉には相当な覚悟が必要とのことである。(→第3回行徳可動堰懇談会議事要旨

今のところ、ゲートが開くのは1年にあるかどうかのところだ。

行徳可動堰の今後

すでに可動堰ができてから50年以上。老朽化が進んでいる。ゲート部がかなり侵食されており、止水能力の低下が問題となっている。そこで、新たな可動堰を現在の位置の北に作ろうという計画が持ち上がっている。
しかし、付近には絶滅が危惧されているヒヌマイトトンボが生息しているため、容易に工事ができない状況である。新可動堰の建造が急がれているが、まだまだ先のことになりそうだ。

行徳橋利用者の視点

建設された時代が時代なので、歩行者・自転車・自動車どの視点から見ても道幅が狭い。最初の頃は歩道が無かったが、後に歩道が追加された。しかし、橋の幅に余裕が無いため、歩道の幅が非常に狭い。自転車が辛うじてすれ違える幅である。

自動車は歩道ほどでもないが、これまた余裕が無い。安全性の面から、大型トラックは通行禁止となっている。

あらゆる角度から


東京湾側から望む。


横から。ゲート巻上用の窪みがよくわかる。


こうして見ると、何とでかいことだろう。これは一番端の堰柱だが、両端二本と中央二本の堰柱では長さが異なる。(両端3.5m、中央5.5m)


この堰柱の中に60馬力の捲上機が入っている。


その真下。これがローリングゲートだ!


橋の下より見るローリングゲート。


桁下。

行徳可動堰開く


平成20年8月31日、連日の猛雨によってとうとう行徳可動堰が開いた。
堰柱に取り付けられたライトも点灯している。


江戸川の水は茶色く濁り、いろいろなものが流されていた。堰の付近では段差があるので、水の流れがより増している。


50年以上流れをせき止めてきたゲート。ゲートには無数の貝がくっついていた。


間近で撮った一枚。欲を言えば近くでたくさん写真を撮りたかったが、潔く退散する。

上流では水害で苦しんでいる多くの方がいるので、複雑な気分。
とってつけたようですが、今回の大雨災害による被害を受けた方々の一刻も早い復旧をお祈りします。

リンク

国土交通省関東地方整備局江戸川河川事務所ウェブサイト

江戸川水閘門についてはその2へ

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