市川市北西部、国府台と中国分の一帯はかつて広大な陸軍用地が存在した。
今ではすっかり文教地区の国府台地区をうろうろ散策する。
おおまかな地図
武井順一著 「市川市国府台における砲兵隊・工兵隊の記録」によると、現在と昭和14年頃の旧軍施設の関係は以下のようになる。
平成21年現在 | 昭和14年ごろ |
里見公園 | 陸軍病院分室 |
市川一中、国府台高、東京医歯大 | 野戦重砲兵第七連隊 |
国府台病院 | 陸軍病院 |
和洋女子大、聾学校 | 独立工兵第二十五連隊 |
スポーツセンター | 西練兵場 |
千葉商大 | 野戦重砲兵第一連隊 |
里見公園分園 | 旅団司令部、火薬庫 |
この他、図枠外東の中国分地域一帯は東練兵場となっていた。
施設跡
かつては3個連隊もの部隊が駐屯していた国府台だが、その規模の割にはほとんど施設、遺構は残っていない。
野戦重砲兵連隊の煉瓦塀
松戸街道から里見公園入口への道の途中、東京歯医大側に野重砲連隊裏門の煉瓦塀が一部残っている。
江戸川沿いの貯水槽
里見公園入口前の道を江戸川方面へ下ると旧軍と関係があるのかはよくわからないが貯水槽のようなものがある。
同じ場所に廃屋もあったが撤去されて見やすくなった。
旅団司令部跡地と貯水槽
松戸街道から里見公園分園への急坂を登りきると右手に旅団司令部跡があるが、今となっては旧軍時代からあると言われる貯水槽しか残っていない。
また、反対側のゲートボール場周辺は火薬庫が存在した。
陸軍境界標
とりあえずはっきりと「陸軍」の二文字が確認できた4柱を掲載した。
この他にも埋没等の理由により、陸軍のものかどうか確認できない怪しい御影石がいくつか存在した。
(1)「陸軍」
国府台天満宮から江戸川へ下る道途中の茂みの中にある。
(2)「陸軍用地」
里見公園と総寧寺のちょうど境界にある。総寧寺敷地内。
(3)「陸軍」
階段横の民家の柵脇にある。枯葉と茂みの中に隠れてわかりづらい。
軍より下が埋まっているのではっきりしないが、ひょっとしたら「陸軍用地」かも?
(4)「陸軍用地」
松戸街道からじゅんさい池入口へ下る坂道脇の小道上にある。
傾斜したままアスファルトと塀で固定されている。
関係ないもの
内務省?の標柱
陸軍境界標(1)がある坂を下った先のゴミ捨て場隣に「内169(或いは691?)」と彫られた古そうなコンクリート製標柱が二つに折れて落ちていた。
「内」の字から言っておそらく内務省の標柱だろう。建設省・国交省の標柱のように元は江戸川沿いに設置してあったものだと思うが、これにはちょっとびっくり。
参考資料
このページの作成にあたって、以下の資料を大いに参考にした。
「市川市国府台における砲兵隊・工兵隊の記録」
武井順一
「解説・陸軍国府台部隊」 高橋功