東京メトロの深川検車区行徳分室(旧行徳検車区)での2005年5月の第97編成の3連化から第90編成3連化後の2010年現在までの動向。
編成の概要
元第97編成 (5048-5334-5847) ※2007年に解体済
編成 | クモハ | モハ | クハ |
元97 | 5048 | 5334 | 5847 |
2007年の97編成の運用離脱後、上記の3連で最低限自走可能な編成が組まれた。元の97編成は全て千代田線からの転属車である。
2007年5月、元90編成3連と入れ替わる様に解体。
元第90編成 (5150-5450-5950) ※2010年に解体
編成 | クモハ | モハ | クハ |
元90 | 5150 | 5450 | 5950 |
2007年5月、元97編成と入れ替わるようにして編成された。元の90編成はアルミ製で、試験的に製造されたグループの一つである。この3連はアルミ5000形、5200形、5800形のトップナンバーだったが、2010年に姿を消した。
これらの3連は教習車として残されたと言われるが、詳細は不明。
検車区内の様子(一部)
一時留置線などの名称は便宜上勝手に呼んでいるものです。
解体線
解体準備が整った車両をここで解体する。架線は資材置き場の辺りで途切れている。
一時留置線
運用を離脱した車両はひとまずここに留置される。架線あり。
5000系留置場
3連化された5000系はいつもここに留置されていた。
2005年から2010年までの動向
2005年5月2日
97編成が運用離脱。5048-5334-5847の3両が編成を組み、この位置が車庫内での定位置となる。残りの7両は解体された。
一部ケーブルにビニールが被せられた5048-5334間の連結部。何のケーブルでしょうか?廃車前も同じように連結されていた5334-5847間はそのまま。
方向幕や運用番号がたまに変わる事もあったものの、しばらくは大きな変化も無いままこの位置に留置される。
2006年7月30日
この頃、車番などの銘板を外され車庫の奥へ移動。各銘板を外されたと言うことは、お役御免に?この場所は資材置き場や5000系の解体場所になっている。
2006年8月24日
編成両端の制御車の屋根上に謎の装備が取り付けられる。それとも何かを撤去した後の雨漏り防止?
2007年2月1日
90編成廃車。元97編成の3連は未だ解体されず残存していた。
2007年3月6日
90編成が3連化される。編成は5150-5450-5950と、アルミ車の5000形、5200形、5800形のトップナンバーで固めた編成に。
その一方、90編成の残りの7連と元97編成の3連は共に解体の準備がされていた。
この後、元97編成は解体。元90編成の3連は元97編成のかつての定位置に留置されるようになった。
2009年11月20日
3連化後、2年以上が経過。帯などがくたびれてきたほかには特に大きな変化はなし。
元90編成も日焼け防止のためかころころ行先・運用番号表示が変わっている。
2010年5月21日
各種銘板が取り外されてしまった。今までの例から行くと解体される可能性が高い?
時を同じくして05系11編成が編成をバラされていた。写真の2両をのぞく残りの8連が、かつての5000系解体場所に移動させられている。
15000系投入によりいよいよ05系初期グループも廃車か?
2010年6月16日
アスベスト除去作業中のようで、窓や扉が塞がれた。作業中を示す紙が前面に貼られている。
05系11編成は影も形もなくなっていた。編成中の7両は解体され、残りの3両(05-011・511・111)はよそに運び出されたらしい。
11編成のいた場所には05系第2編成が留置中。
2010年6月16日
アスベストの除去が完了した様子。
この数日後、元90編成3連はこの場所から姿を消した。跡形もなく解体されてしまった模様。