東西線5000系電車の思い出

適当な個人的なメモ。覚えてること、記録した事を忘れないうちにまとめておく。

晩年の10連(8M2T)

63編成

←中野 西船橋→
クモハ モハ モハ モハ サハ モハ モハ モハ モハ クハ

中間のサハは5900形だが、10連化時に余った電動車(5200形など)を電装解除した車両も多かった。番号は変わらず。

記憶に残る変な編成

  • 90番・・・末期に生き残ったアルミ車、行徳の車庫で97番に変わって3連化されたが、後に解体。
  • 97番・・・末期に生き残った千代田線転属組、行徳の車庫で3連化され留置されていたが、後に解体。
  • 冷房化前ステンレス車の中にアルミ車を挟んだ妙な編成があった。

その他

  • まだ千代田線の支線で生きてます。
  • 竜巻によって荒川の橋で転覆し、新聞の一面を飾った。
  • 2006年後半以降に廃車された車両は海を越えてインドネシアへ。
  • 戸袋のある車両と無い車両があった。編成中でもごちゃごちゃ。
  • 3連、7連、(ごちゃごちゃ)、10連と編成が増えていった。編成の番号ばらばらの理由。
  • 冷房化したら下回りも変わった。
  • 解体は行徳検車区の奥で行われた。
  • 南砂町の公園に車両の一部が・・・。

5000系のいろいろな姿

90編成
行徳の車庫へ入庫。アルミの編成もいた。

運転台
非常にシンプルな運転台。

車内
地下ではあまり明るい車内とは言えなかった。

67編成
営団の最末期。Sマークがはずされた。

東葉1000形
5000系から改造された東葉高速1000形電車。

59編成さよならHM
お別れヘッドマークは引退1ヶ月以上前から装備された。

新木場の入れ替え車
新木場に残っていた千代田線支線用車両。

綾瀬の5000系
現在ではアルミの3連2編成が支線で活躍している。

40周年イベント
こんなイベントもありました。

40周年イベント
イベントではなんと、開業時の花電車を再現。

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